『ワード・ア・アナフィラキシーショック!!―言葉の意味の底なし沼、―』
- retromup
- 2021年1月8日
- 読了時間: 2分
先日。書いたことに違和感を覚えた。自分なりの自分自身の違和感だ。
無意味(わからない。)な音楽が流行っている、インストとかKPOPが流行している、
流行するだろうという先の見通しと、現段階での視察。書いていて、なるほどと、腑に落ちるが。読者の方には申し訳ないが、これは、正しいことなのだが、僕は、今になって、思う。今になって、感じる。改めて。破壊があれば、再生がある。と。
-「ワード・ア・アナフィラキシーショック!!」
言葉は死んだか?いいや、生きている。呼吸をしている。
意味という呼吸をしている言葉たち。意味という名の呼吸をしている言葉。
じゃあ、無意味は呼吸をしていないのか?そんなことない。キチンと呼吸をしている。
ただし、、、
-「ワード・ア・アナフィラキシーショック!!」
無意味な言葉たちは、何も考えていないのかもしれない。
片方では、考えていて。もう片方では、考えていない。
両軸で意味が通じないものが、無意味。
果たして、そうなのだろうか?違和感だ。
これは、主観に過ぎず、両軸で意味が通じるものが、意味。ということなのか?
わからない。言葉は奥が深すぎて、底なし沼だ。海底グリーンマイルな底なし沼だ。
ビンの底を見ようとしても、ビン自体がスケルトングラスで、見えない。
そんなスケルトンな底なし沼。それが、言葉だ。透明な底なし沼。それが、言葉。
でも、一筋じゃない、何筋かに分かれた、希望の光が見えてきた。
コロナワクチンじゃないけど、希望の光だ。希望の灯だ。まだ、わからないことだらけだ。
しかし、一瞬の不安を消してくれる相談のような希望。悩み相談のような希望。雑談。
エンタメ。カルチャー。しかし、不安になる。だが、僕たちには、言葉がある。意味がある。意味を感じられること。それ自体が、奇跡なのだから。ミラクルなのだから。
トリプルなのだから。言葉の底なし沼を覗き込むように。今夜も、グラスを傾ける。
そう、牛乳瓶のグラスを、グリーンピースの袋菓子と一緒に。流し込みつつ。
言葉の底なし沼に、思いを馳せる。言葉の意味を感じられる喜び。生きている喜び。
全てに、感謝する。言葉に、感謝することを忘れたくない。僕は、そう、思う。
言葉に助けられていることを、ありがたく、感謝する。ありがとう、言葉。
ありがとう、言葉の意味。そして、言葉の底なし沼との覗き合いは、続く。
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