〝わからない〟から〝インスト〟と〝KPOP〟聴きたい!病みつきニジュウ年代、電波狂想曲!!
- retromup
- 2020年12月31日
- 読了時間: 2分
「わからない。」という感情は、「エモい」を凌駕する。
そうなるかもしれない。だから、私たち、僕たちは、
インストとKPOPを聴く。意味もないのに、聴くのだ。
そこに思想もない。何も考えてなどいない。
病みつき。無意味の病みつき。電波ともいえる。その電波狂想曲。
ニジュウ年代の特徴とは、そういうものなのだ。
言葉に意味を求めず、無意味を求める。
ニジュウ年代の人々は、若者のクラスターを中心に無意味を求めがちだ。
そこに思想などないのに、思想を意味を求めるのは、それこそ間違っている。
私たち、僕たちは、日本の音楽も、もっといえば、アメリカの音楽もヨーロッパの音楽も、
電波ソングもアイドルソングもアキバカルチャーの聖地・秋葉原の音楽も、KPOPも、インストも、テクノも、ニューウェイブだって、何だって聴く。多国籍感満載のニジュウ年代。ニジュウ年代とは、多種多様な多様性ではなく、多国籍性なのではないだろうか?
いや、多種多様な多様性と多国籍性のサンプリングとリミックスの果てにあるのだ。
もう、ジェネレーションZとか言うのは止めよう。ミレニアム世代とか。煩わしいよ。
終わりなんて無いんだ。Z。なんかじゃない。終わりなんてない。終わりなき旅。
数字や言葉じゃ。現わせない。自分たちの言葉じゃない、数じゃない、意味じゃない。
無意味の可能性。エモいは、無意味の伏線であり、言葉や数も、伏線だ。全ては無意味だ。
それが、人間。人生。音楽。もう、エモいなんて、飽き飽きだ。意味を求めるのは、完結だ。
これからは、無意味の時代と無意味の社会だ。私たちが望んでいたもの。僕たちが望んでいたもの。それは、思想ではなく、無思想なのだ。意味ではなく、無意味なのだ。
無意味こそが、本当の多国籍な平和である。
無意味こそが、この世に咲いた、唯一の平和の希望なのである。
無意味こそ、希望。
インスト(歌のない音楽)、バンザイ!
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